今月の特集

タイミングが来た

「タツ、長い旅に出るんやってな」…。入社の決まった学生たちを連れて社内を案内していたとき、ミキハウスの親父・木村社長(※1)がすれ違いざまにかけてくれた言葉、それがゴーサインでした。といっても、そのときは何のことだかわからなかったんです。会社に入ってすでに3年が経っていましたから、次の新卒採用に向けていろんなところに行くことなのかな、くらいに思っていました。
ところがまわりが「タツ、あれは世界一周の話じゃないのか」と騒ぎだした。まさかと思っていましたが、上司に「行くんだろ」って言われて、初めて話が決まったことを知ったんです。今から思えば、これが僕にとってのベストなタイミングだったんでしょうね。
幼少期をパリで暮らし、ツール・ド・フランスに魅了され、自転車で世界一周したいというのが、子どもの頃からの夢でした。この夢を実現するチャンスは、会社に入る前にもあったんです。学生時代なら自由な時間があるし、就職する前でもやろうと思えばやれたでしょう。でも、実際には踏み切れなかった。学生の時は、ヤル気さえあれば何でもできるって思い上がりがあったし、そういう時にはタイミングって巡ってこない。就職が決まった時も、まずは自分を育ててくれた両親に、しっかりとしたところを見せたいですから、この時もタイミングじゃなかったんでしょう。タイミングがぴったり合わないと、本腰入れて動けないものなんです。

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最初の一歩を踏み出すこと

ところが会社に入って、今でいう柔道の野村忠宏選手(※2)のような、世界を相手に夢を実現しているいろいろな人たちの姿を見て、「かなえたい」という思いがすごく強く大きくなってきた。入社1年目は商品部に配属されたんですが、夜は倉庫で残業しながら自分の生き方や夢について真剣に考えていました。一方、会社の寮でせっせと企画を書き始めたのもこの頃でした。書き出すと次から次へとイメージが湧いてくる。なんか自分でもスイッチが入ったなあという感じはありましたね。年2回の業務レポートに自分で勝手に夢の欄を設けて、毎年社長に出していました。けれど、何の音沙汰もなかったんです。
そこで、覚悟を決めたんです。会社を辞めてでも行くんだって決心して資金集めの準備を始めました。試算では900万円ぐらい必要で、会社に入ってからは極貧生活(笑)を耐え忍んでお金を貯めてきたんだけれど、どうしてもあと300万円ほど足りない。だからスポンサー集めに動いていました。もちろん会社には内緒ですよ。
自分の夢に共感してくれそうな企業(※3)を30社ほどリストアップして、大胆にも社長宛に企画書を送りましたが、ミキハウスの封筒は一切使いませんでした。1週間後ぐらいのタイミングを見計らって、今度はその社長さん宛に電話をかける。たいてい秘書の方が対応してくださるんですが、話をするとほぼみんな企画書を読んでくれてる。夢じゃないのかと思いながらも、20社ぐらいがスポンサーになってくれるところまでこぎ着けていました。

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緻密な準備が扉を開く

ハエの教えに癒される

その頃は同僚から「坂本は修行僧のような生活だ」なんてからかわれていましたね(笑)。企画書を書いてるときは、誰かに見られちゃまずいので部屋にカギをかけるんだけれど、寮でそんなことする奴はいないわけです。たまにカギをかけてなくて部屋にいるかと思えば、録音テープを聴いている。煙草は吸わない、酒も飲まない。週末には自転車レースで走っている。まあ、変な奴ですよ。
でも僕としては、すべて目的のための準備なんです。録音テープで聴いていたのはビジネス英語とフランス語のラジオ講座。言葉が通じないとどうしようもないから、絶対にマスターしなきゃと思ってた。企画書を書くためには徹底的なリサーチが必要で、当時はまだインターネットが今みたいに普及していなかったから、海外からわざわざカタログを取り寄せたりもしていました。
スポンサー候補としてアプローチした30社には、それぞれ内容がまったく違う企画書を送りました。たとえば時計メーカーさんだったら、まず植村直己さん(※4)などを過去に応援した企業は外します。それで新しくアウトドア用の腕時計を出したばかりのところはないかと探して、「僕なら、こんな宣伝ができますよ」とアピールする。すると、自然と30社に向けて30本、内容がまったく異なる企画書になっていきました。仕事が終わって寮に戻ってからワープロに向かうんだけれど、これが楽しくて仕方がなかった。自分の夢がどんどんふくらんでいく実感がありましたから。たいてい朝の5時ぐらいまで作業に熱中して、夜が明けてくると少し仮眠するような感じの毎日でした。
そこまで徹底的に準備して、さあ行くぞって思ったときに木村社長から声がかかったわけです。まるで誰かが雲の上から見ていて、今しかないという絶妙のタイミングでしょう。こればかりは今でも不思議ですね。

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ハエの教えに癒される

いざ旅に出てみると、思いもよらなかった苦しいことやつらいことが何度もありました。たとえばマラリアと赤痢の両方に同時にかかってしまったり、高山病にやられてしまったり。でも、そういうときは必ず誰かが助けてくれた。いちばんきつかったのはイランを旅しているときで、孤独感と自己嫌悪のどん底でした。たぶん疲れがピークに達していた上に、ささいなトラブルが積み重なって気持ちがまいっていたんでしょう。あるイラン人がわざわざ日本語で「お疲れさん」と声をかけてくれたのに、僕は彼のことを「うるさいな」ってはねのけてしまった。
自分のとった行動に自分でびっくりしたんです。まさか自分がそんなひどいことをするなんて信じられなかった。でも、それだけ自分に余裕がなくなっていたんでしょうね。そのときです、ハエが僕の手に止まってささやきました。「タツは、悪くないんだよ。精一杯がんばってるんだから、タツはそのままでいいんだよ」って。まるで背中をやさしくさすってくれるような温かい言葉が、確かに聞こえた。涙があふれて止まりませんでした。
それから少しずつ回復していきました。挨拶ができないと何も始まりません。だから、挨拶ができるようになってからは、全てのことが少しずつ良い方向に向いていきました。

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一人じゃないんだ

一人じゃないんだ

振り返ってみれば、いろんな人に助けられてきたんです。マラリアにかかった時は診療所のドクター、高山病の時はたまたま通りかかった州知事。でも、支えてくれたのは人だけじゃない。ハエ、道ばたのサボテン、肌を吹き抜けていく風、道の向こうに広がる雲も。自分の力だけではどうにもならないと思っていることも、ひとつの出会いや些細なきっかけから「サムシング・グレート」(大いなる意思)の後押しによって助けられることがある。そのことを素直に感謝できるようになったんです。
確かに自転車をこいでいるのは僕一人だけれど、一人じゃないんだ。そう気付いた時から、気負わなくなりました。自分の状況を素直にまわりに白状して、助けを求めることができるようになりました。妙なプライドとかを捨てることで、すごく楽になったんです。
おかげで何とか旅を無事に終えて帰ってくると、本(※5)を書いたり講演会で話をさせてもらうようになりました。講演先などで本を買っていただくと、印税(※6)が入ってきます。そのお金を目の前にしたとき、すごく違和感を覚えたんです。このお金は一体何なんだって。これはお返ししなきゃいけないと直観的に思いました。それが筋だろうと。
だって僕は結局、みんなに助けてもらったからこそ夢をかなえられたんです。自分が一人でやってるんじゃない、やらせてもらったんです。旅行に行く前は正直、やる気にさえなれば一人でも何とかなる、という思い上がりがありました。でも、数え切れないぐらいいろんな助けをもらったおかげで、僕は今ここにいる。だったらこのお金を使って何か恩返しをしなきゃいけない。そう強く思ったんです。

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人との出会いが夢をかなえる

人との出会いが夢をかなえる そこで取り組んだのがギニアでの井戸掘りプロジェクト (※7)です。これをやり遂げることが僕の次の夢になりました。もちろんそんな簡単な話ではなくて大変なことばかりでしたが、やはりここでも出会う人に助けられた。そしたら、また次の夢が湧き出てきた。ギニアに診療所を作りたい、ブータンに学校を作りたいって。
そんなふうに夢が広がり始めると、木村社長がいつも言っている「ギブ・アンド・ギブ」の大切さが身にしみてわかってきた。人のために自分ができることをやる、自分のためじゃない夢を自分の夢にする。そのことの素晴らしさがわかってきた。
これが仮に、僕が自分のためだけのログハウスをどこかに建てたいなんて夢だったら、誰も協力なんてしてくれないでしょう。ところが、みんなのためにみんなと何かしたいって気持ちで始まった夢は必ずかなう。ものすごく不思議だけれど、然るべきタイミングで然るべき人と出会えて、その出会いが夢の実現をぐ〜んと前に押し進めてくれる。一人では何もできなくても、まわりのみんなが力を貸してくれるから、夢はかなえさせてもらえるんじゃないでしょうか。
諦めなければ夢はかなう。でも、それはいろんな人の支えがあって初めて実現できる。僕はそんなふうに思うんです。

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memo

※1 ミキハウスの親父・木村社長
ミキハウスグループ社長・木村皓一氏。木村社長が起業したのは、坂本氏が夢を実現したのと同じ26歳。子どもたちに夢や目標を与えることを意義として、子育てに関するさまざまなビジネスを手掛けている。また、オリンピック選手を育成するスポーツ支援にも力を注いでいる。人気競技ではなく、マイナー競技にこだわり、恵まれない環境にある選手の夢をかなえるための支援活動を行っている。

※2 野村忠広選手
1974年生まれ、ミキハウス柔道部所属。アトランタ、シドニー、アテネオリンピックで柔道史上初となる三連覇を達成した。

※3 自分の夢に共感してくれそうな企業
カメラ、時計、テントなど、自転車での世界一周で何らかの広告・宣伝ができそうな製品を扱っている企業に狙いをつけた。しかも、可能な限り業界ナンバーワン企業を狙った。

※4 植村直己さん
1941年生まれ、日本を代表する登山家、冒険家。1984年にアラスカでマッキンリー単独登頂に成功後、消息を絶った。同年、国民栄誉賞を受賞している。

※5 本
自転車世界一周の体験を綴ったフォトエッセイ『やった。』

※6 印税
印税は全額、海外のプロジェクト資金に充てられている。

※7 井戸掘りプロジェクト
マラリアと赤痢になったとき、その村で最後の薬を使って自分を助けてくれたドクター・シェリフ氏の父親の故郷に、坂本氏がみんなと一緒に井戸を作り上げた。

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Profile 坂本達

1968年、東京都生まれ。
早稲田大学卒業後、株式会社ミキハウス入社。1995年9月に自転車世界一周の旅に出て、99年12月末に帰国。
現在は、人事部採用担当として勤務し、早稲田大学客員教員も務める。著書に『やった。』『ほった。』
●坂本達オフィシャルサイト:http://www.mikihouse.co.jp/tatsu

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